zakkan 甚佐紅(ざっかん じんざもみ)

日々の雑感を綴ってみたい・・・。

年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず

思わず、唐の詩人劉延之(りゅう えんし)の漢詩の一節が思い浮かび、タイトルにしました。


ご存じのように、毎年花は同じように咲くのに、人はすぐに入れ変わってしまう、という詩です。


今朝。
山羊小屋近くの廃屋を撮りました。


人は消え失せ、建物だけが取り残される。
養蚕組合として昭和25年(1950年)頃に建てられ、十数人の人が寝泊まりしながらお蚕の世話をしていたそうです。


1900年には世界一の生糸の輸出量を誇っていた日本。
日露戦争に出陣したピカピカの軍艦は、どれもこれも絹糸で造ったんだ、と囁かれていた、とWikipediaにありました。
太平洋戦争によって海外の市場をすべて失ない、茫然としつつも、復興を夢見て、官も民もそれなりに努力を重ねたのですが、中国の勃興には勝てず、日本の養蚕業はすっかりすたれてしまいました。
何しろ今、世界で一番素晴らしい生糸を作っているのはブラジルなんですよ、と聞いたことがあります。
人の営みの根幹である産業や経済は、刻々とかたちや場所を変えながら、膨らんだりしぼんだりしていくものなのですね。
「世の中を常なきものと今そ知る 奈良の都の移ろふ見れば」(万葉集)
と、すでに万葉びとも、人の世の移り変わりを詠っておられます。


ところで。
我々老夫婦の小さな移ろい、はと申しますと。


2021年春、山羊と過ごす幸せ!を求めて、神戸の西の端っこから伊那へと二十数回通いながら、自力での引っ越しを果たしました。
半年間山羊と暮らし、冬になったら神戸に帰るという計画だったのですが・・・。


六月の、きれいに晴れた午後でした。
今でもはっきりと、その日のその様子を思い出します。


夫がポツリと「ここはいいなあ。ここで死ぬのも悪くないね」


いま我々は、江戸時代の田舎家の隣に、小さな山小舎を建てて一年中住んでいます。


今日も雪。
でも、家の中は薪ストーブのお陰で23℃。すこぶる快適です。
江戸のおうちは私の作業場として使っているのですが、今日はいささか寒すぎるかも。


だって、こちらの家が建つまで一冬を過ごしたそのベッド脇の温度計、-3℃だったり、計測不能だったり。
ま、盛岡も寒かったから、どうってことないし、とうそぶく私たちなのでした。


というわけで、「見晴し抜群の積み立てコンクリート長屋 & アルプスも見えないただの地べた」の二元生活の目論見は敢え無く崩れ去りましたが、決心の果て、を、とても楽しんでいます。



























1970年代から素晴らしい着尺が