zakkan 甚佐紅(ざっかん じんざもみ)

日々の雑感を綴ってみたい・・・。

「うちは、男もいる宝塚だから」

今朝の裏山。
樹々の形が大好きです。
きれいな緑を湛えてくれるのも、近いかな。


そういえば、怒りというものをすっかり忘れてしまってどれくらいになるだろう。


近くの山、山羊、そして猫。たまに夫。
小さな喜びで満たされていることをじわっと感じます。


そうなのです、怒っていたのです、わたし。
ずいぶん長い間。
50歳くらいまで、でしょうか。


高校二年の頃、それはひとつのピークでした。
四年制大学を出た地方出身者の女は、都会の「ちゃんとした会社」に就職できない。
田舎に生まれて、女に生まれたあんたを「社会は必要としない」。


通訳になりたいという漠然とした夢を持っていました。


でも、もうすっかり怒ってしまっていたわたしは高校二年の時、受験勉強をやめました。
家から通える農協に務める?
大学を出て、父のように教師になる?


そんなの、絶対にいやだ。


高校二年の秋、ふと、芝居を見に行きました。
劇団四季の「白痴」。


ほとんど寝ていて、目が覚めたら、カーテンコールが始まっていました。
役者さんたちは心からほっとした表情だったし、観客も、めんどくさいストーリーを見終わった解放感からか、それはもう楽しそうに手拍子。


うわああ、これ、やりたい!


演者と見者の思いが溶け合っている、幸せな一体感。
鬱々とした気分が一気に晴れた瞬間でした。


そして、二年後。
東京日比谷の日生劇場で、午前と午後は「子供のミュージカル」に出演し、夜は「エディットピアフの生涯」のコロスを務めていました。


カーテンコール、それはもう毎日毎日・・・。


朝7時に楽屋に入ったきり、夜は「エディットピアフ」がハネたあと、稽古場に戻って終電を超える時間まで、次の芝居というか、ミュージカルの稽古。
椎間板ヘルニアになって、リタイアしていく劇団員も多かった。


ただただ、自らの体を精一杯動かすだけの日々。
あまりの忙しさに、出演者が演技を評価したり批評したりする、いわゆる
お互いの「ダメ出し」なんてありえませんでした。


ついでですが、自嘲気味に先輩が言ってました。
「うちは、男もいる宝塚だから」って。
どういう意味か、いまだに不明ですが、でも、なんだか笑えるフレーズだなあ、と短い劇団四季の研究生生活で思い出せる言葉です。