一将功なりて万骨枯る
おとといの夕暮れ、月と桜です。
怒りのない毎日って本当に穏やかで幸せ。
50年前は猛烈に怒ってましたから。
劇団四季俳優養成所(正式な名称は覚えていません)に入ってから一週間目くらいから怒っていました。
浅利慶太に手紙を書かねば。
なんだ、この扱いは、って。
思えば、ずいぶん不遜な新入りでした。
日生劇場の舞台に、入所三か月で立たされました。
わたしたちは「駒」に他ならない。駒でしかない。
いやまあ、そも、志が「カーテンコールやりたい!」だったのですから、大きな口をたたくことなどできませんが。
午前10時と午後2時に開演する子供のためのミュージカルの演目は「二人のロッテ」。
父と母に別々に引き取られていた双子のロッテとルイーゼが、スイスの学校で偶然一緒になり、力を合わせて、父と母を仲直りさせるという、王道の少女小説。
わたしは、ミュンヘンの少女、ウイーンの貴族の奥方、魔女の三役をこなすことになりました。魔女は大変です。大きな黒いマントを、きれいに八の字に描いて振らねばなりません。貴族の奥方はウインナワルツに乗って踊ります。
子供たちは、夢の中で魔女に襲われそうになるロッテを「うしろにまじょがいるよー」とか、「きをつけてー」とか、黄色い声で応援してくれて。
夜は越路吹雪さんの「エディットピアフの生涯」。
緞帳の裏側を、下手(しもて)から、舞台監督たち三人のスタッフに抱きかかえられるように上手(かみて)に移動する越路さんは、あと何回だからね、とでも言いたげに、指で数字を作ってわたしたちに示しながら、ゆっくりと、それこそ老婆の様に腰を曲げたまま歩いていくのです。
1971年秋、越路吹雪さんは47歳、わたしは19歳でした。
客席の電灯が落ち、暗闇の中、コーラスが始まる。厳かに緞帳が上がると、ピンスポットが上手の主人公の登場を待つ。
老婆の様に腰をかがめていたその人は、数秒かけて全身を奮い立たせ、越路吹雪になるのです。
毎日、その神々しいプロフェショナルな姿を、半円形のひな壇から見つめていました。
色を最小限に抑えた装置も照明もしっとりと美しく、越路吹雪という円熟の境地にあるエンターテイナーにふさわしい、まことに洗練された舞台でした。
浅利慶太という人は、稀代の幸せ者だったと思います。
10万人が焼け死んだ東京大空襲の時、彼は12歳。
激しい熱風がこちらに向かってきたと思ったら、なぜかさっと風向きが変わって僕は助かったのです、という話を、やはりその時12歳だった方から聞いたことがあります。
今、ウクライナやガザの子供たちが味わっている過酷な体験を、東京の下町生まれの彼らは潜り抜け、戦後を生き抜いたのです。
わたしが入所したころ、浅利慶太氏は38歳。
いつもローチェアにふんぞり返って、三島はねえ(三島由紀夫のこと)とか、フランス演劇は衰退の一途だよ、とか、好き勝手なお題目で講釈を垂れていらした印象しか残っていないのですが。
あの頃、ブロードウェイの演目を、本家に遜色なく上演できる技量はどこの劇団にもありませんでした。
お客さんが何を求めているかを、バイヤーの目で見ることのできる、優れた買い付け屋であったし、金森馨、吉井澄雄といった装置や照明の傑出した人材が常に脇を固めて舞台を作り上げることのできた幸運な人でした。
プロデューサーとしての腕も超一流だったと思います。
でも。
役者を育てることは一切なさらなかった。
俳優の才能の開花を促し、教え導いた結果の個性の噴出を、俳優と演出家お互いが寿ぐなんて悠長なことに時間を費やしてはいられない。
欧米には完璧な舞台があるのに、この国のそれはまだ黎明期なのだから。
全体のバランスを重視し、装置や照明の醸し出す美しさにこだわった舞台を目指す。
つまりは、役者はきれいな「ブツ」としてそこに置かれる。
汚らしい人間性の発露は敢えて必要ない、と振り切った演出家であるがゆえに、役者の能力を引き出す指導者としての役割を果たしたことなどなかったではないか。
キミ、何言ってるの、役者は誰かに手取り足取りされて育っていくものではないでしょう。
あの細い三日月形の目と、へらへらと笑みを湛えた口がおっしゃりそうです。
確かに、すべての職業にいえることですが、自らが望んで厳しく精進しなければ「上手いひと」になんて決してなれない。
文学座の養成所では、トイレットペーパーをもくもくと、電車の一番前の通路から最後尾まで転がしていく、できたやつは尊敬されるって。
恋する人に邪険にされた時の自分のありようを、鏡の前で、演じ分けてみる。
俳優として初歩的な稽古。
その相手は、一年以上親しく付き合ったひとだったのか、あるいは三か月の片思いにすぎなかったか、情況によって、心と体に受けた衝撃は大きく違っています。
相手をおもんばかって身を引くのか、それとも復讐に走るか、解釈だって無数にあります。
優れた俳優は、観客に共感をいざない、登場人物の心情を深く理解させ、うねるように舞台を作り上げていく。
わたしはどうやら、声が3オクターブ以上出た、から、合格した、と後で知ったのですが、誰かの人生を演じてみたい、と思ったこともない不純な動機の新入りでしたから、それはもう淘汰されるのは当然でした。
一将功なりて万骨枯る。
ボスの名誉のために、我々は命を削った、と、多くの役者の卵たちの思いを告発するつもりだったのに、あれれ、書いているうちに返り討ちにあった気分です。
まだまだ燻ぶるもやもやを、もう少し書いてみようか、と思います。
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