zakkan 甚佐紅(ざっかん じんざもみ)

日々の雑感を綴ってみたい・・・。

おいしいハチミツをいただきながら。

今年もハチミツの季節になりました。


舌におだやかに馴染むハチミツ。

清々しい香りとテイストを口の中に満たしてくれるアカシアのハチミツ。

静かなやさしさが甘く広がっていきます。

この地を巡る蜂たちを束ねているのは、アッサルさん。

35年の間、日本に暮らすイラン人です。


毎年、幸せな味を届けていただいています。



昨年、妻と息子を伴って4年ぶりで故郷テヘランに帰り、街の賑わいに、イランはやっぱり底力のある立派な国だと思いました、と彼は言っています。


一方、我が家のつい300m先のおうちの長女はイスラエルのテルアビブで暮らしています。


日曜日、アメリカはバンカーハンマーとかいう、とんでもない爆弾をたくさんイランに落としました。


わたしたちはいま平和に暮らしているけれど、わたしたちの親が逃げ惑った80年前の惨事は7500キロ向こうで日常になっています。


イスラエルのネタニヤフ首相とその側近が、国を欺く蓄財をしていて、国民の厳しい視線を逸らすために国外に敵を作り、ガザを攻撃したり、ついでにイランまで手を伸ばしているらしい、という報道を、国内の怒りを外に向けるために戦争を始める、為政者たちのいつもの手口だなあ、と夫。


わたしは頷きながら、ふと、アッサルさんの妻のトモコさんから聞いた言葉を思い出しました。


テヘランの人たちって、じつはアメリカ人のこと大好きなのよ。

観光に来てくれて、たくさんペルシャ絨毯を買ってくれて、アメリカ人て陽気だし。

もっとちゃんと付き合いたいって、みんな思ってるのよ。


えええっ?

それって、民衆の気持ちと、政府の掲げている国家の方針が乖離してるってこと?


2022年、ヒジャブという、イスラム教の女たちが頭に被らねばならないスカーフを着けていなかった若い女性を殺害してしまったイラン政府。

世界中のひんしゅくを買ってしまったことをよく覚えています。

いまどき、身だしなみを取り締まり、見せしめのように殺害してしまう政府の考え方って、相当、時代遅れのような気がするのですが。

イラン政府はイスラム教徒である「女のたしなみ」を強いているのですね。


プーチンは「ウクライナはロシアのものだ」と言うけど、実はロシアの人たち、「ウクライナはウクライナでしょう」と思っているのと同じ、か。


いやあ、国民の本心を読むことのできない、というか、手前勝手な損得勘定で国を引っ張っていくトップを戴いていていいんですか?

これ、庶民の素朴な思いです。

まあ、こんなヤカラ、昔も今もあちこちに居座っているけれど。

きちんと断罪する民の力が問われる、ってところです。


我が国の、コメをはじめとしたさまざまな問題も、爆弾がバラバラ落ちてくる悲惨に比べれば可愛いものなのかも。

ゆっくり時間をかけ、国民一丸となって問題解決に至るよね!

そう信じています。


素晴らしいハチミツを採取するアッサルさん。

でも、わたしたちは美味しく頂いて感謝するだけで、なんの力にもなって差し上げられない。


へんてこな人たちが牛耳る国や社会は、どこかで是正されなければ、と思うばかりの「蟷螂の斧(とうろうのおの)」です。

(蟷螂の斧も死語ですよねえ。カマキリの刃など懸命に振り上げて抵抗したところで、あっという間に制圧されてしまいますもの)


アメリカのトンチンカンな大統領をそそのかして戦争を拡大させている巨悪に見えるネタニヤフ氏、実は意外なことに、民衆の総意を代弁する正義の人なのですか?


いえいえ、何もわからない。

わからないのですが、このままだと、たぶん何万年後か、いや、早ければ数千年後、もっと早く、数百年後に人類は滅亡するのだろうなあ。



わたしたちはあと少しだけ地球に居させてもらって。


今日もアッサルさんの美味しいハチミツを、手作りヨーグルトとリンゴジャムで楽しんでいる、梅雨のさなか、社会にイシツブテひとつ投げることのできない、意気地のない老夫婦でした。