zakkan 甚佐紅(ざっかん じんざもみ)

日々の雑感を綴ってみたい・・・。

裸足の平安時代!その参

たっぷりの雪。
おととい降った春の雪。
あっという間に消えてしまいましたが。
昨朝の裏山です。


清少納言の「枕草子」に、中宮であった定子から、香炉峰の雪は?と訊かれた少納言がさっと御簾(みす)を上げて見せると、定子から笑いが漏れた、とあります。
あら、やっぱりあなたってできるのね、と文学的素養の豊かなことをお互い確かめ合った、のでしょうか。


「香炉峰の雪は簾(すだれ)を掲げて見る」
唐の詩人である白居易(はくきょい)は772年~846年まで、平安時代の初期にあたる頃生きた人ですから、160年くらい時を経ていた詩を、二人といわず、もちろん紫式部も貪るように読み、愛誦(あいしょう)したことでしょう。


楊貴妃と玄宗皇帝の悲恋を歌った「長恨歌」など、白居易の美しい叙事詩を口ずさむ環境から「源氏物語」や「伊勢物語」が生まれたのでしょうね。


火鉢を囲んで談笑している、とも「枕草子」にありますけれど、やっぱり心配なおみ足。
きっと真っ赤になり、紫色になり、そして痛かったり痒かったりの厳しい冬を送られたのだと思います。
どこにも記述はないのですけれど。


かくいう私は辰年6回目の年女。
小さい頃は、穴の開いた靴下を母がよくかがってくれていました。
そんな光景を思い浮かべながら思うに、父や母は「靴下」と言ったことがありませんでした。
亡くなるまで一度も。


そうなんです、靴下という名称が広く人の口にのぼるようになったのは、太平洋戦争以後のことなのですって。
(ナイガイ靴下歴史博物館から)
父や母にとって、西洋から入ってきたメリヤス編みの毛糸の袋はまごうことなき「足袋」でした。
そして、下駄や草履の文化を生きてきた人々にとって、股のない靴下は日常生活に支障をきたすものでもあった、というふうにも思えます。
でもすぐに、靴や靴下が下駄や草履や足袋を駆逐してしまうのですが。


娘の夫であるバスク人は、5本指ソックスを、日本人の技術!と言って、いたく気に入って少しの間愛用していましたが、やがて、穿くのが大変、と打ち捨ててしまいました。
日本人の器用な技が生みだした精巧なる足袋は、西洋人にとって、ちょっぴり敷居が高かったようです。


次回は、まだ心に引っかかっている「板葺き」の屋根について書いてみたいと思います。